AI文庫 / 第十一作

回送

北口発二十三時十五分の最終バスは、十二人乗せて出た。運転手の宇野は、決まりではないのに、鏡で数える。郵便局前、桜並木、けやき苑前、団地入口。停留所ごとに、減る。何も起こらない。作業ズボンの男が、缶コーヒーを開ける。

現代ドラマ / 掌編 2,747字(四百字詰 6.9枚) 2026.09.23
文字
組

駅北口

 二十三時十五分の最終は、十二人乗せて出た。

 宇野は発車の前に、車内の鏡で一度だけ数える。数えるのは決まりではない。決まりは点呼と、時計を見ることだ。十二人。いつもより二人多い。金曜だから。

 ロータリーの時計は二十三時十四分を指していて、宇野の腕時計は十五分になっていた。腕時計のほうを信じる。ドアを閉めると、閉まる音のあとで、車内の音が一段小さくなる。暖房の風と、いちばん後ろの席の誰かが袋をがさがさ言わせている音だけになる。

 北口を出て、右に曲がる。

 いちばん前の席に、年寄りの男が座っている。薬の袋を膝に置いて、両手でそれを押さえている。その後ろに、会社員が四人。四人とも別々に乗ってきて、別々の席に座って、別々に眠っている。真ん中の二人掛けに、若い女が一人、電話の画面を見ている。画面の光が顔の下から当たって、鼻の穴が明るい。その後ろに、飲んで帰る二人組。声が大きいが、まだ大きいだけだ。その後ろに、作業ズボンの男。五十くらい。缶コーヒーを持って、まだ開けていない。その隣の窓際に、大きな鞄を抱えた学生。いちばん後ろに、袋の女と、その連れ。

 十二人。

――次は、郵便局前、郵便局前。お降りの方は、ボタンでお知らせください。

 自動放送は女の声で、宇野より少し若い。十年前に録り直したときから、同じ声だ。

郵便局前

 ボタンが鳴った。ぽん、という音で、運転席の上の「とまります」が赤くつく。

 会社員が一人、目を覚まして、降りた。両替はしなかった。定期を機械に当てて、ぴ、と鳴らして、降りた。段を降りるときに一度、手すりを掴んだ。掴んだ手が、しばらく離れなかった。離れて、ドアが閉まった。

 十一人。

 郵便局はもう暗くて、ポストだけが外灯に照らされている。宇野はポストを見る。

 二十三時十八分。時刻表は十七分だ。一分。

――次は、桜並木、桜並木。

桜並木

 桜は十一月で、葉が半分落ちていて、落ちた葉が歩道の端に寄せてある。

 ボタンは鳴らなかった。停留所に人はいなかった。宇野は速度を落として、標識の前を通り過ぎた。通り過ぎるときに、標識の時刻表の紙が一枚、角がめくれているのが見えた。明日の昼の誰かが直す。

 通過。

 飲んで帰る二人組の声が、少し大きくなった。大きくなって、片方が、しっ、と言って、小さくなった。

 作業ズボンの男が、缶コーヒーを開けた。ぷしゅ、と鳴った。飲んで、缶を両膝のあいだに挟んだ。パチンコ屋の匂いが、暖房の風に乗って前まで来た。煙草と、絨毯の匂い。男の足元に、何も置いていない。勝った日は袋がある。

――次は、けやき苑前、けやき苑前。

けやき苑前

 降りる人はいなかった。

 白い上着の女が一人、停留所の柱のそばに立っていて、宇野はドアを開けた。女は乗って、整理券を取って、いちばん前の年寄りの隣ではなく、その後ろの空いた席に座った。上着の胸に名札があって、字までは見えない。

 乗った人がいたので、宇野は数え直した。十二人。

 二十三時二十一分。時刻表は二十分。一分のまま。

――次は、団地入口、団地入口。

団地入口

 ぽん。

 鳴ったのは一度で、鏡の中で、ボタンに伸びた手は三つあった。

 会社員が二人、いちばん後ろの袋の女とその連れ、四人が降りた。袋の女は降りるときに袋を持ち直して、中で瓶が鳴った。連れが先に降りて、下で待って、女が降りて、二人で団地のほうへ歩いていった。街灯が二つあって、二つ目の下で見えなくなった。

 八人。

 会社員は二人とも、降りるときに小さく、どうも、と言った。宇野は、はい、と言った。決まりでは、ありがとうございました、と言う。宇野は、はい、と言う。

――次は、中学校前、中学校前。

中学校前

 ボタンは鳴らなかった。停留所に人はいない。中学校の校門の横に桜があって、幹に街灯が当たっている。

 通過。

 若い女が、電話の画面を消した。消して、窓に頭をつけた。窓は冷たいはずで、女はすぐに頭を離して、それからまたつけた。

 白い上着の女は、乗ったときから目を閉じている。膝の上に両手を重ねて、手は動いていない。

 飲んで帰る二人組が、小さい声で話している。片方が、明日、と言って、もう片方が、明日は、と言った。その先は聞こえなかった。

 作業ズボンの男は、缶を膝に挟んだまま、窓の外を見ている。

 二十三時二十九分。時刻表は二十八分。

――次は、川端、川端。

川端

 ぽん。

 作業ズボンの男が立った。立って、缶を持って、通路を前に歩いてきた。バスが揺れて、男は座席の背を掴んだ。掴んで、離して、次の背を掴んだ。運賃箱の前に立って、小銭を出した。硬貨が五枚、一枚ずつ落ちて、一枚ずつ音がした。最後の一枚が箱の中で転がって、止まった。

 男はドアのほうへ体を向けかけて、一度だけ、こちらを見た。

「どうも」

「はい」

 男は降りた。缶を持ったまま降りて、川のほうへ歩いた。川端の停留所の先は橋で、橋の向こうに古いアパートが二棟ある。男はそっちへ行った。

 七人。

 橋のほうで、水の音がした。ドアを閉めると、聞こえなくなった。

――次は、倉庫街入口、倉庫街入口。

倉庫街入口

 降りる人はいなかった。倉庫街の入口には、夜は誰もいない。倉庫の屋根の上に、赤いランプが一つずつついていて、それが六つ、等間隔に並んでいる。宇野はそれを、毎晩、六つ数える。

 通過。

――次は、終点、営業所前、営業所前。お忘れ物のないよう、ご注意ください。

営業所前

 全員が降りた。

 年寄りの男は、薬の袋を持って、ゆっくり降りた。段を一段ずつ、両足を揃えてから、次の段。宇野は待った。待つのは決まりだ。会社員の最後の一人は、定期を当てて、どうも、と言って降りた。若い女は、降りるときに電話の画面をもう一度つけて、つけたまま降りた。飲んで帰る二人組は、先に降りたほうが、下で待たずに歩き出して、後から降りたほうが、小走りで追いついた。学生は、鞄を前に抱え直して、降りた。白い上着の女は、最後に降りた。整理券と、小銭。降りるときに、宇野を見て、お疲れさまです、と言った。

「はい」

 二十三時三十六分。時刻表は三十六分。

 宇野は運賃箱の蓋を確かめて、行き先の表示を「回送」に変えた。表示が消えて、それから「回送」が出た。ドアを閉めた。閉めて、車内の鏡で、後ろを見た。座席が並んでいて、真ん中の二人掛けの窓に、頭の形の曇りが一つ、残っていた。曇りは、宇野が見ているあいだに、小さくなって、消えた。

 営業所の門を入って、いつもの位置に、いつもの角度で停めた。エンジンを切った。切ると、暖房の風が止まって、それからしばらく、何かが冷えていく音だけがした。車内灯を消した。降りて、ドアを閉めた。

 鍵を事務所に返して、点呼を受けて、宇野は帰った。

車庫

 車庫には、バスが九台、同じ向きに並んでいる。門の外の道路を、車が通って、行った。いちばん端の一台の、下のほうで、金属が、きん、と鳴った。それが二度鳴って、三度目は鳴らなかった。

了