AI文庫 / 第二十二作

日当たり

安い部屋を借りたのは、日が当たらないからだ。窓の前まで、公園の楠の枝が来ている。十月に伐採の看板が立ち、十一月に向かいの家の人が署名を集めに来て、十二月に公園で説明会があり、二月に高所作業車が来る。枝が一本減るたびに、窓が明るくなる。配られた輪切りを持って部屋に戻ると、日が床まで入っている。

現代ドラマ / 掌編 2,050字(四百字詰 5.1枚) 2026.10.01
文字
組

 この部屋を借りたのは、安かったからで、安かったのは、日が当たらないからだ。

 窓を開けると、公園の楠がある。道路側に立っていて、枝が公園からはみ出して、道をまたいで、私の部屋の窓の前まで来ている。不動産屋は、緑が見える、と言った。緑しか見えない。

 夏は涼しい。洗濯物は、乾くのに二日かかる。二年、そうやって住んでいる。

 伐採のお知らせ、という看板が、公園の柵に立ったのは、十月だった。

 市の名前が入っていて、楠の根が歩道を持ち上げていること、夏に太い枝が一本落ちたこと、来年の二月に伐採すること、問い合わせ先が書いてあった。知っている。夜中に、ものすごい音がして、朝、歩道に枝が横になっていた。葉がついたままで、人の背丈より長かった。誰にも当たらなかった。

 看板を読んで、部屋に戻って、窓から楠を見た。切られるのか、と思った。日が当たるようになる、とも思った。あとのほうが、長く残った。

 署名の人が来たのは、十一月の、日曜の昼だった。チャイムで出ると、女の人が立っていて、後ろに、小学生くらいの男の子がいた。女の人は、公園の向かいの、一戸建ての人で、顔は知っていた。ごみの日に、何度か会っている。名前は、そのとき初めて聞いた。飯塚、といった。

「楠のこと、ご存じですよね」

 知っています、と答えた。飯塚さんは、バインダーを持っていた。署名の用紙が挟んであって、もう、二枚目に入っていた。

「百年、あそこにあるんです。市が勝手に決めて」

 百年かどうか、私は知らない。飯塚さんも、たぶん、知らない。男の子は、廊下の手すりに、顎を載せていた。

 私は、署名をした。

 名前と、部屋番号を書いた。飯塚さんは、ありがとうございます、と言って、次の部屋のチャイムを押しに行った。

 窓から、飯塚さんと男の子が、公園の中を横切って、向かいの家に帰るのが見えた。男の子は、楠の幹を、通りすがりに、手のひらで叩いた。

 説明会は、十二月の土曜に、公園であった。市の人が二人来て、楠の下に立って、説明した。集まったのは、十五人くらいで、飯塚さんがいちばん前にいた。私は、後ろのほうにいた。署名をした手前、行った。

 市の人は、根が歩道を持ち上げている場所を、足で示した。タイルが、一枚、斜めになっている。幹の、私の部屋の窓より高いところに、白い傷があった。木の医者に診てもらった結果も言った。幹の中が、空洞になりかけている。

 飯塚さんが、質問をした。空洞なら、埋めればいい、治療すればいい。市の人は、検討した、と言った。費用と、倒れたときの危険を比べて、伐採になった。

「切ったあとに、何か植えるんですか」

 質問したのは、私ではなかった。私の横に立っていた、知らない男の人だった。市の人は、植える、と言った。低い木になると思う、と言った。

 飯塚さんが、振り返って、私を見た。

 説明会は、三十分ほどで終わった。人が散って、楠の下に、飯塚さんと、市の人が残った。私は帰った。窓から見ると、飯塚さんは、まだ、市の人と話していた。市の人は、手帳に何か書いていた。

 楠は、冬でも葉を落とさない。

 洗濯物は、相変わらず、二日かかった。

 伐採は、二月の平日だった。休んだ理由を、会社には、私用、と言った。

 朝、窓を開けると、公園の周りに、クレーンのついたトラックが二台と、高所作業車が一台、止まっていた。作業の人が、五人いた。ヘルメットをかぶって、公園の入口と、前の道に、立入禁止のテープを張っていた。

 見ている人が、柵の外に、何人かいた。飯塚さんは、いなかった。

 私は、部屋の窓から見た。

 高所作業車のかごが上がって、作業の人が、上の枝から、順に切っていった。チェーンソーの音が、部屋の中まで来た。切られた枝は、ロープで吊るして、下ろした。受け取る人が、トラックの荷台に載せた。

 枝が一本減るたびに、窓が、明るくなった。

 幹だけになった楠は、思っていたより、細かった。枝を広げているときは、公園を覆っていたのに、幹は、私が両腕を回せば、届きそうに見えた。

 作業の人が、幹を、上から順に、輪切りにしていった。

 クレーンで吊るされるときに、断面が、こっちを向いた。真ん中が、黒かった。

 私は下に降りた。

 柵の外に、見ている人は、もう二人しかいなかった。一人は、説明会で私の横にいた男の人だった。

 幹は、根元の、腰より低いところまで、切られていた。切り株の上に、おがくずが積もって、作業の人が、それを、ほうきで、袋に集めていた。防虫剤のような匂いがした。楠の匂いなのか、切ったばかりの木の匂いなのか、私には区別がつかなかった。

 作業の人の一人が、柵の外に来て、見ている人に、輪切りを一枚ずつ、配った。太い枝の、薄い輪切りで、手のひらより少し大きい。要るか、と訊かれる前に、男の人が、手を出していた。私も、手を出した。

 部屋に持って帰った。窓の外に、公園の向こうの、飯塚さんの家の二階が、初めて見えた。カーテンが閉まっていた。

 日が、部屋の床まで、入っていた。埃が、浮いていた。

 私は、雑巾を濡らして、窓の外側から、拭き始めた。

了