勝手口の軒の裏に蜂の巣があると教えてくれたのは隣の若い男で、片桐は朝、門を出たところを呼び止められて、男の声より先に男が左手の甲を腫らしているのを見た。
夜勤の帰りに男の家の玄関の前で刺されたのだという。蜂は片桐の家の勝手口の軒から出てきて隣の玄関の前を横切って裏の畑のほうへ飛んでいく道筋になっていて、男はそれを三日前から知っていた。
片桐は家の裏に回って勝手口の軒を見上げた。垂木のあいだに灰色の巣が下を向いてぶら下がっていて、六角の穴の一つ一つに蜂が頭を突っ込んでいるのが地面からでも見えた。握りこぶしを二つ並べたくらいの大きさがある。四月に越してきてから勝手口は一度も開けていなかった。
業者に電話をすると一万五千円からですと言われて、アシナガバチなら市販の殺虫剤で落とせますから夜にやってくださいとも言われた。片桐は電話を切ってから台所にいる娘に夜にやると言った。娘は制服の靴下を脱ぎながらへえと言った。
ホームセンターで蜂用の殺虫剤を買った。店員が缶を棚から取って五メートルは離れてくださいと言ったので片桐は五メートルがどのくらいか勝手口から門までの距離で考えた。長袖のシャツと冬の帽子と軍手を押入れから出した。
勝手口の外に立つと隣の家の玄関の明かりがついていて、これから仕事に出るらしい若い男がサンダルで門のところに立ってこっちを見ていた。娘は台所の中にいて勝手口の戸を少しだけ開けていた。
片桐は門まで下がって缶を軒に向けた。噴射の音は思っていたより大きくて、白い霧が軒の裏に当たって跳ね返り、巣の表面が一斉に動いて蜂が何匹も落ちてきて地面で回った。片桐は缶が軽くなるまで噴き続けた。
首の後ろに焼けた針を押し当てられたような痛みが来た。帽子の下、襟の上の一か所だった。片桐は缶を落として帽子を脱いで首を叩き、台所に入って戸を閉めた。娘が冷凍庫から氷を出してタオルに包んで首に当てた。鏡で見ると首の後ろが赤く盛り上がって中心に小さな点があった。
痛みは一晩、脈に合わせて来た。
軒の裏の巣は朝もまだあり、地面に蜂の死骸が十以上落ちていて、娘がそれを箒で集めて袋に入れた。片桐は首の後ろに湿布を貼って会社に行き、昼休みに貼り替えた。
帰ると軒の下を蜂が飛んでいて、巣には止まらず、巣のまわりの空気を同じ高さで何度も回っていた。隣の若い男が門のところに出ていて、まだ来てますねと言った。
片桐はその晩、もう一度長袖を着て帽子をかぶり、首に手拭いを巻いて勝手口の外に立った。箒の柄を軒に伸ばして巣の根元を押すと、巣は簡単に外れて足元に落ちた。拾って袋に入れるとき、六角の穴の中に白いものが詰まっているのが見えた。
蜂はそれからも来た。
片桐は会社から帰ると着替える前に勝手口を開けて軒の裏を見た。巣のなくなった軒の裏を二匹か三匹がまだ回っていて、片桐はそのたびに缶を向けた。首の腫れは三日目には、首を回すと引きつる程度になった。
五日目の夕方、片桐は会社から帰って着替えずに勝手口の外に出て、缶を軒に向けたまま、隣の玄関の明かりがつくまでそこに立っていた。