AI文庫 / 第二十七作

前歯

ぼくの前歯は、プールのときからぐらぐらしていた。七さいの二年生で、歯はまだ一本もぬけていない。となりの席のたけるは八本ぬけていて、給食のたびにゆびでおしに来る。おじいちゃんは糸でぬけと言う。やだ。歯は、ぼくのだ。セミがいなくなって、歯は横をむいた。息が白くなっても、まだあった。お正月に、おじいちゃんがやいたおもちをかじった。

現代ドラマ / 掌編 1,162字(四百字詰 2.9枚) 2026.10.07
文字
組

 ぼくの前歯は、プールのときからぐらぐらしていた。

 上の、右のやつ。舌でおすと、前にかたむく。もどすと、もどる。プールの水の中でやると、水が歯のうしろに入ってきて、つめたい。

 ぼくは七さいの二年生で、歯はまだ一本もぬけていない。クラスでぬけていないのは、ぼくと、ゆうなだけだ。ゆうなは女子だから、数に入れない。たけるは、八本ぬけている。

 たけるはぼくのとなりの席で、ぼくの歯を見ると、ゆびでおす。

「まだある」

「さわるな」

「ぐらぐらじゃん。ぬけよ」

 たけるは給食のたびに、おしに来る。ぼくはさわるなと言う。たけるはおす。歯は、たけるがおすほうに、かたむく。

 おじいちゃんは、糸でぬけと言う。歯にむすんで、ドアのとってにむすんで、ドアをしめる。おじいちゃんは小さいとき、全部それでぬいたそうだ。

「やだ」

「いたくない。一回で、すっとぬける」

「やだ」

 お母さんは、ほうっておけばぬける、と言う。お父さんは、歯医者さんに行くか、と言う。ぼくは、歯医者さんにも行かない。歯は、ぼくのだ。

 セミがいなくなって、運動会があった。りんごを前歯でかじると、歯がうごいて、かじれない。おくの歯でかじった。たけるのお母さんが、となりのシートで、見ていた。

 歯は、横をむいた。

 前にかたむくのではなくて、右に、ねじれるみたいに、むいた。舌でおしても、もとにもどらない。鏡で見ると、ぼくの前歯は、一本だけ、よそのほうをむいている。

 たけるは、ねじれた歯を見て、わらった。

「それ、もう、ぬけるよ」

「ぬけない」

「ぬけるって。おれがぬいてやる」

 たけるは、ぼくの歯を、ゆびでつまんだ。ぼくはたけるのうでを、かんだ。歯が横をむいていたので、かんだのは、おくの歯だった。たけるは、ぼくの歯よりも、ぼくがかんだところを、先生に見せた。

 先生は、ぼくに、どうしてかんだのか、と言った。歯は、ぼくのだからです、と言った。

 息が白くなって、こたつが出た。歯は、まだあった。ねじれたまま、ぐらぐらしないで、そこにあった。このまま、大人の歯になるのかもしれない。それでもいいと思った。お正月に、おもちを食べた。

 おじいちゃんが、やいたのを、しょうゆにつけて、のりでまいた。前歯でかじった。おもちはのびて、口から出て、のびたぶんが、ぼくの歯をつれていった。根っこのところが、ちょっと赤かった。

 おじいちゃんは、上の歯だから、えんの下に入れろと言った。そうすると、下にむかって、ちゃんと生えるそうだ。お母さんは、とっておくと言った。お父さんは、写真をとった。

 ぼくは、歯を、ぬるぬるのおもちごと、のみこんだ。

 たけるは、学校がはじまった日に、ぼくの口を見て、ゆびをつっこんできた。すきまに入った。

「ぬけたじゃん」

「ぬけてない。食べた」

 ぼくの歯は、おなかの中にある。そこで、ほかの骨とくっついて、どこかの骨になった。

了